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第463回 『速効性と英断と行程と勇気』 〜『歴史を知る言葉の処方箋』 〜
2025年12月9日 熊本大学大学院生命科学研究部 消化器内科学講座教授の 田中靖人先生の企画で熊本大学病院での講演【『医療従事者の基本原則』〜『はしるべき行程』と『見据える勇気』〜】に赴いた。会場は多数の参加者で、複数の質問も寄せられた。 記念写真が送られてきた。大いに感動した。 スタッフの皆様と夕食の機会も与えられた。 【 熊本大学病院での 1)『がん哲学外来』開設 2)今回の記念本の製作】が決定された。 まさに『速効性と英断』である! 感服した。 【熊本県出身の『 近代 日本 医学の父』として知られ2024年7月3日には、1000円紙幣になった『北里柴三郎』(1853-1931)】でも 大いに話が盛り上がった。 『北里柴三郎』も記念本に記載されることであろう! 筆者は、以前、勝海舟の屋敷があった赤坂で講演に呼ばれた。 【 勝海舟の『蚤や虱だと思えばいいのさ。 肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒いだけだ、生命に関りはしないよ』(『 海舟座談』):新渡戸稲造(1862-1933): 『武士道』(114ページ; 矢内原忠雄(

樋野 興夫先生
1 日前読了時間: 2分


第462回 『忘れ得ぬ愛情の原点』 〜 大志を抱け 〜
2025年12月4日早朝『雪の積もる富士山』を眺めた。 【壮大な品格のある『富士山 (3776m) 』】の姿には、大 いに 心が慰められる。 筆者は幼年時代【誕生の年(1954年)の母(1923年2月20日〜2019年6月3日)の元旦の夢が『富士山』】であり、 『富士山子』 と母に励まされたものである。 故に【富士山】には特別な思いがある。 『 忘れ得ぬ 愛情の原点』であろう! (添付) 甲府の 岩間孝吉先生から【最近、甲府の古書店で入手した、『大島正健 ー生涯の軌跡 ー』を読んでおります。】のメールを頂いた。 筆者の小学校の卒業式での 来賓の挨拶【 『ボーイズ・ビー・アンビシャス (boys be ambitious)』(ウィリアム・クラーク(1826-1886)(添付) 】 の言葉は忘れ得ぬ。【札幌農学校を率いたウィリアム・クラークが『その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだ』( 札幌農学校の第1期生の 大島正健: 1859-1938の伝言】である。 2015年 海老名総合病院での【が

樋野 興夫先生
4 日前読了時間: 2分


第461回 『性質の異なった者を 容れる雅量を持つ』 〜 役割意識と使命感の自覚 〜
今朝 (2025年12月1日) 、 自宅から『雪の積もる富士山 (3776m) 』を眺め大 いに 心が慰められた。 筆者の 誕生(島根県出雲市大社町鵜峠での1954年3月7日)の年の母の元旦の夢が『富士山』であり、幼児の時から 『富士山子』 と励まされたものである。 子供時代、お寺の紙芝居で『鬼ケ島遠征の物語』をよく聞かされたものである。 『挑太郎』は『犬・雉・猿』という性質の違った【犬猿の仲】をまとめあげた。 世に処する人は『性質の異なった者を 容れるだけの雅量を持たなければならない』と新渡戸稲造(1862-1933)は『世渡りの道』(1912年)は述べている。 母は、島根県出雲市大社町鵜峠の自宅に於いて、96歳(1923年2月20日〜2019年6月3日)の天寿を全うした。 母の兄達は、太平洋戦争で戦死し、末っ子の母が我が家を継いだ。 そして、祖父から、『家を興(おこ)す=樋野興夫=ひのおきお=Origin of Fire』と命名された。 鵜峠は、無医村で小学校も中学校も廃校になった。 現在では人口34名、60%の空き家である。...

樋野 興夫先生
4 日前読了時間: 2分
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