第468回 天国でカフェを開催 〜 『人の心に 永遠を思う 思いを授けられた』 〜
- 樋野 興夫先生

- 6 日前
- 読了時間: 2分
2025の年末である。 時の経つのは、早いものである。 昨年(2024年)の年末は、アメリカ ワシントン州に住む娘夫妻をWifeと訪問したのが 懐かしい想い出である。 12月29日は、【現在では人口34名、60%の空き家の故郷】の島根県出雲市大社町鵜峠(うど)から姉(1951年10月2日生まれ)が上京し、羽田空港にWifeと向かえに行った。 筆者の母【樋野壽子(1923年2月20日〜2019年6月3日)】は、無医村の鵜峠の自宅に於いて、安らかに 96歳の天寿を全うした。 葬儀では、筆者は、喪主として、『天寿を全うし、地上の長い旅路を歩み、様々の責任を全うし、召された母に 深い敬意を払います』と挨拶をした。
筆者の父【樋野廉平(1921年1月24日〜2013年5月5日)】は婿養子で、貨物船やタンカーの機関長であった。 父も鵜峠の自宅で92歳で逝去した。『地上で故人の遺志を受け継ぎ 天国でカフェを開催する』のが、筆者の大きな夢である。
そもそも筆者の名前は、息子を太平洋戦争でなくした祖父【樋野卓郎(1888年11月25日〜1972年2月11日)】が、家を継いだ末っ子の母:樋野壽子の3人の子供(誉・誠・興夫)の末っ子の長男:筆者に『家を興す』の願いを込めて名付けたと、膝に抱かれて聞かされた幼年時代の想い出が 鮮明に脳裏に蘇る。
【『人類は、遅かれ早かれ120歳で死ぬ』(旧約聖書 創世記6章3節)&『もしかすると この時のためかもしれない(エステル記4章14節)&『何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。』(伝道者の書3章1、2節)&『なされることは 皆その時にかなって美しい。 また人の心に 永遠を思う思いを授けられた。』(伝道者の書3章11節)』】の復習の2025の年末ともなった。
筆者が京都での浪人時代に お世話になった父の妹:叔母様は、2021年12月に91歳でご逝去された。 現在:叔母様の2人の娘様(従姉妹)の家族は 横浜と東京に在住で、12月30日は 皆で、昼食会の時を持つ。




コメント