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第479回 『歴史の復学』〜『いい覚悟で生きる』〜

 2026年2月14日【『横浜がん哲学外来18周年 & 第8回日本Medical Village学会』合同シンポジウム『いい覚悟で生きる』】横浜開港記念館(日本大通り駅)にwifeと向かう(添付)。 筆者は『日本Medical Village学会理事長』として基調講演『言葉の処方箋』&『樋野先生へ がん哲学外来の発祥・開港についてのインタビュー』(インタビュアー 三国浩晃氏)の機会が与えられた。 その後『横浜開港発祥の説明』秋月隼人氏(のんきなカチガラス)講演である。

 

【パネルディスカッション:『院外で初めて発祥の地・横浜』で『進行係』三国浩晃氏 &『パネラー』 溝口修 東鷲宮聖書フォーラム代表(元横浜がん哲学外来代表)/陣川チヅ子 ふれあいの家居宅介護支援ステーション管理者/ 糸川幸杞 ケアーショップアイ・ティー・オー専務取締役(元横浜がん哲学外来副代表)/ 内田由美子 廣(株)代表 和み訪問看護ステーション(現横浜がん哲学外来・カフェ代表)】とのことである。


【江戸幕府(1603〜1867)は 約264年間続いたとされる。 1853年7月アメリカのペリー提督は、4せきの船を率いて浦賀に来航し、日本の鎖国政策を変えさせ 港を開くように強く要求しました。 そして、1859年7月1日、神奈川、長崎、箱館(函館)を開港し外国との自由貿易を許可したのです。 もっとも、日米修好通商条約の交渉のときに、アメリカ総領事ハリスが のぞんだ開港地の中には、神奈川や横浜の名はありませんでしたが、幕府がハリスに、神奈川の開港を提案したのは、日米和親条約ゆかりの地であり、さらに『江戸にいちばん近い港で、江戸が外国貿易にむけて開かれるときには 必ず重要な場所になるにちがいない』ということで、ハリスはこの提案を受け入れたと考えられます。 ただし、ハリスが考えていた神奈川は、現在の神奈川区東神奈川あたりの神奈川宿であり、一方、幕府は横浜を考えていました。 幕府としては、外国人と日本人を遠ざけるために交通の頻繁な、東海道の宿場を開港場にすることは避け、横浜の開港を強く主張し、一方的に横浜に開港場をつくってしまいました。 当時の横浜は、港の施設がほとんどない小さな漁村だったので、開港すると、現在の 大さん橋の付け根の付近に2か所の波止場がつくられました。 船は波止場にじかにつけることができないので、沖に停泊し、『はしけ』や『汽艇』とよばれる小さな船が陸との間を往復して、荷物や人を運びました。】とHPには紹介されている。 

今回のシンポジウムは、有意義な 充実した 貴重な『歴史の復学』となろう!


 
 
 

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