筆者は島根県出雲市大社町で生まれた。 筆者の「ふるさと:鵜峠(隣の村は鷺浦)」は、今は、人口40名とのことである。 鵜鷺(鵜峠+鷺浦=鵜鷺;うさぎ)小学校も 鵜鷺中学校も 既に廃校になった。 筆者は、実家の庭で「尺取虫」をよく見たものである。 「がん細胞は、尺取虫運動である」と 癌研病理時代に学んだ。 「癌細胞の病理」と「人間社会の病理」の共通性である(添付)。 筆者は、今月、「がんサポートナース養成講座」で講義『医療者の道 〜 尺取虫運動に学ぶ 〜』の機会が与えられている(添付)。 不思議な縁である。
古事記にも登場する出雲大社には、「大国主命と因幡の白兎」の像がある。 「因幡の白兎」の話を、幼い時から聞いて育ったものである。 「うさぎ(兎)」が ある島から 本土に帰るときに 道がないから、「ワニザメ(和邇)に 数を数えてやるから 一列に並べ」と言った。 「ぴょんぴょん飛んで 最後の一歩で だました」と言った。 そして 毛をむかれて砂浜に打ち上げられた。 そして いろんな人が 通りかかったが、「大国主命」が 正しい治療をして治った。 これが「的確治療」である。 この現代的意義は!? それは 「大国主命」が 「うさぎ(兎)」を治すときに、「うさぎ(兎)」の「境遇」を問わなかった。 「ワニザメ(和邇)」をだましたから「ざまあ見ろ」とは言わなかった。 「医療は患者の境遇を問うてはならぬ」ということである。 『「最も剛毅なる者は 最も柔和なる者であり、愛ある者は 勇敢な者である。」とは「高き自由の精神」を持って医療に従事する者への普遍的な真理であろう。「他人の苦痛に対する思いやり」は、医学、医療の根本である』。 まさに、「弱いものいじめをするな」と いうことであろう!
「旧約聖書 ヨブ記」を彷彿する。 サタンの試練に遭って、苦しみの中で ヨブは三人の友人は、慰めを兼ねて因果律を説く。 三人の友人の主張は、因果応報の原理を盾に、「ヨブが 罪を認めることを 求める」というものであった。 ここには、 因果応報と異なる「無償で贖う存在」の学びがある。
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