2021年4月15日は、新渡戸稲造(1862-1933)が初代理事長(1932年)を務めた「新渡戸記念中野総合病院」の倫理委員会ー>読書(音読)会「新渡戸稲造 著『武士道』(矢内原忠雄 訳)第9章「忠義」に赴いた。 理事長、病院長、副院長、看護部長、職員も出席され、筆者は、新渡戸稲造記念センター長として出席した。 大変有意義な時であった。 担当の御2人の「音読」は、素晴らしかった! 矢内原忠雄(1893-1961)訳の漢字は難解であるが、準備万端で感動した! まさに、『自己の役割を まっとうすることにある』(新渡戸稲造)である。 部屋を準備されていた真摯な職員には、ただ感謝である。 来年(2022年)は、新渡戸稲造 生誕160周年である。 記念シンポジウム『21世紀の医療の扉を開く〜 今、ふたたび 新渡戸稲造!〜』が企画される予感がする。 「東京医療利用組合新宿診療所」開設(1932)。1933年中野に移転し「東京医療利用組合中野組合病院」を開設。 2015年「新渡戸記念中野総合病院」に名称変更され、筆者が 順天堂大学医学部を定年退職(2019年3月)した年の4月に、「新渡戸稲造記念センター」が設立された。 『「新渡戸稲造記念センター」は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造博士の志を 日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。 「新渡戸稲造記念センター」のセンター長には、新渡戸稲造 博士の専門家として本邦の第一人者で、新渡戸博士の志を継承して活躍されている樋野興夫先生が 就任されました。』と 心温まる紹介がなされている。
筆者はセンター長の挨拶で、[2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』、2018年に新訂版、2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21 st Century Inazo Nitobe』が発行されることになった。 タイミング的には「新渡戸稲造記念センター長」就任記念ともなった。 驚きである。 人知を超えて、時が進んでいるこを痛感する日々である。 私の故郷は無医村であり、幼年期、熱を出しては母に背負われて、隣の村の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 私に強い印象を与えた言葉は、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(boys be ambitious) である。札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が 新渡戸稲造、内村鑑三(1861-1930)を生んだことも知らぬまま、ぽっと希望が灯るような思いであったものである。 その後、新渡戸稲造・内村鑑三、南原繁(1889-1974)、矢内原忠雄を静かに、学んできた。――『生活環境や 言葉が違っても 心が通えば友達であり、心が通じ合う人と 出会うことが 人間の一番の楽しみである。』(新渡戸稲造)を体験する日々でもある。―― すべての始まりは「人材」である。「はしるべき行程」と「見据える勇気」、そして世界の動向を見極めつつ、高らかに理念を語る「小国の大人物」出でよ! ここに、「新渡戸稲造記念センター」の開設の歴史的意義があろう!]と述べた。
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