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執筆者の写真樋野 興夫先生

第143回 生涯書生 〜 類稀な忍耐を持って立派に完成する 〜

 2021年4月21日 第27回難病・遺伝医学セミナー(順天堂大学に於いて)『がん遺伝子パネル検査の実運用について』に出席した(添付)。 医学は日進月歩である。 日々勉強である。 まさに「医師は生涯書生である」である。 セミナー後、順天堂大学医学部 大学院修士課程 講義『発がん機構総論』を行なった。 多数の質問があった。 大変充実した、有意義な時であった。 筆者は、「癌学事始」として、下記の3人について語った(添付)。

1. 山極勝三郎(1863-1930)

2. 吉田富三(1903-1973)

3. Alfred G. Knudson(1922-2016)


山極勝三郎については、「類稀な忍耐を持って、日本の独自性を強く主張し、日本の存在を大きく世界に示した」、「段階ごとに辛抱強く 丁寧に仕上げていく 最後に立派に完成する」人物であったと語った。 山極勝三郎の研究によって日本は化学発がん、環境発がんの創始国として、世界の発がん研究をリードする国になったのである。「日本国の病理の父」といわれる所以である。 吉田富三は、「事に当たっては、考え抜いて日本の持つパワーを充分に発揮して」大きな仕事をなされた。「自分のオリジナルで流行をつくれ」、「顕微鏡を考える道具に使った最初の思想家」である。 吉田富三は病理学という専門分野を極め、さらにまた、医療制度や国語政策にも取り組み、重要な提言を行っている。まさに「風貌を見て、心まで診る=病理学=理論的根底」の懐の深さ、「病理学の健全性」を感ずるのは 筆者のみであろうか。 吉田富三の愛弟子で、筆者の恩師:菅野晴夫 先生(1925-2016)と、福島の浅川町に吉田富三記念館と協力して2003年に吉田富三生誕100年事業を実施した。 吉田富三の生誕100年の時、吉田富三の著書を読み、「がん細胞で起こることは人間社会でも起こる」ということが吉田富三の哲学なのだと思った。ここに、『がん哲学』の源流がある。 先人の精神を学んだことが、自分の専門以外のことであっても勇気を持って声に出し、行動できるという自信になり「がん哲学外来」の創設も出来たと思っている。


Knudsonからは、下記の「競争的環境の中で個性に輝く5箇条」を学んだ。

(1)『複雑な問題を焦点を絞り単純化する』

(2)『自らの強みを基盤にする』

(3)『無くてならないものは多くない』

(4)『無くてよいものに縛られるな』

(5)『Red herringに気をつけよ』


「がん哲学=生物学の法則+人間学の法則」である。「がん哲学外来」は、生きることの根源的な意味を考えようとする患者と、がん細胞の発生と成長に哲学的な意味を見出そうとする病理学者の出会いの場でもある。 筆者が、授業で語るのは、これまで学んできた先達の言葉である。 まさに「言葉の処方箋」である。 出会った時に受ける影響だけに留まらず、20 ~30年後に影響してくることがある。 「人生は開いた扇」のようである。





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