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第430回 『丁寧な観察力の修練』 〜 教育に大いなる理解 〜

 2025年6月25日『1918年に新渡戸稲造(1862-1933)が初代学長に就任した東京女子大学』で礼拝奨励を依頼された。 教育に大いなる理解を示した新渡戸稲造(1920年国際連盟事務局次長:1932年軽井沢夏季大学初代学長)についても さりげなく語る。 筆者は【原田明夫(1939~2017)検事総長・東京女子大学理事長】と、2000年『新渡戸稲造 武士道100周年記念シンポ』、『新渡戸稲造生誕140年』(2002年)、『新渡戸稲造没後70年』(2003年)、さらに『新渡戸稲造 5000円札さようならシンポ』(2004年)を国連大学で開催したのが 走馬灯のように駆け巡ってくる。 原田明夫氏とは、月1回『21世紀の知的協力委員会』を開催したものである。

 

新渡戸稲造は 札幌農学校で学び、卒業後は東大に入学するが、この面接試験で将来の希望について『我 太平洋の架け橋とならん』と答えたという逸話を残している。 新渡戸稲造は東大の学問レベルに満足せず、アメリカに留学する。 帰国後、母校である札幌農学校の教授に就任し、また『北海道開発』の諸問題の指導にあたるが、体調を崩してカリフォルニアに転地療養をすることになる。 カリフォルニアでの療養中に書き上げたのが『武士道』である。 その直後、台湾総督府に招聘されて台湾に渡り、農業の専門家としてサトウキビの普及、改良、糖業確立へと導く。 東大教授と第一高等学校校長の兼任、東京女子大学学長などを歴任した。 そして第一次世界大戦後、国際連盟設立に際して、初代事務次長に選任され、世界平和、国際協調のために力を尽くしている。 国際連盟事務次長時代の新渡戸稲造が設立したのが知的協力委員会(後身がユネスコ)である。

 

その後、新渡戸稲造記念センター長を務める新渡戸記念中野総合病院での546会内科CPC(Clinico - Pathological Conference)の『新渡戸CPC』に参加する。【CPCとは,剖検例の肉眼的,顕微鏡的病理所見と臨床所見との関連について双方の立場から意見交換をし,詳細な病態および死因の解明に向けて検討を行うものである】と紹介されている。 筆者にとっては、CPCは、癌研時代から病理医の原点である。 毎日 顕微鏡で細胞を診て、病理組織診断と病理解剖に専念したものである。『丁寧な観察力の修練』である(添付)。


 
 
 

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