2021年7月8日は、ルーテル学院大学(東京都三鷹市)でのZoom講義『総合人間学』 (10:20〜12:00)と対面授業『現代生命科学』(14:30〜16:10、16:20-18:00)に赴いた。 筆者の近隣にお住まいのルーテル学院大学に隣接するICU(国際基督教大学)に勤務されている富岡徹郎 氏が車で、東久留米から連れて行って下さった。 昼食も共にした。 本当に感謝である。『総合人間学』では、『楕円形のこころ』(春秋社 発行)を教科書に用いて、今回は、第三話『クオリティ・オブ・デスの世界』から
1)孤独に慣れる
2)一日一時間の静思
3)病気であっても病人ではない社会
4)聖書が伝える生命のドラマ
5)がんとの共存
6)がんを取り巻く環境
7)クオリティ・オブ・デス
8)最期の五年間で人生を語る
を音読しながら授業した。 真摯な多数の質問があり、大変充実した時となった。『現代生命科学』では、教科書『カラーで学べる病理学』の『代謝異常』&『老化と老年病』『新生児の病理』の授業を行なった。 ルーテル学院大学の教育目的は「心と福祉と魂の高度な専門家を養成する」と謳われている。 学校名の「ルーテル」は、宗教改革の中心人物マルテイン・ルター(1483-1546)からきている。
最近、筆者の、どの学校の授業でも「今のこのコロナウィルス禍の時、何か教えて頂けましたら感謝です。」との切実な質問が寄せられる。「ペストの時代にルターは、王の命令を無視して、困ってる人に手を差し伸べていた。」&「過度の自粛でも軽度自粛でもなく、常識的に狭き門、真ん中を通る人物になれ!」と答える。 対話によって「その人らしいものが発動してくる」(フランクル)、まさに、「大切な存在」(to be)と言ってくれる者の「声」であろう。 アウシュビッツを自ら体験したフランクル(1905-1997)の「希望」(『夜と霧』)は、「明日が世界の終わりでも、私は今日りんごの木を植える」(ルター)行為を起こすものであろう。 新渡戸稲造 (1862-1933) は、理想と確信を堅持して、「我輩は専門センス(専門的知識)は教えない。 コモンセンス(常識)を教えるのだ」と言って、出来るかぎり「陣営の外」に出かけていった。 まさに「見る人の 心ごころに まかせおきて 高嶺に澄める秋の夜の月」の心境である。 「札幌農学校で新渡戸稲造と同級生である内村鑑三 (1861-1930) の『Representative Men of Japan』(『代表的日本人』)は、新渡戸稲造の『武士道』とならぶ、世界のベストセラーになった。」と筆者は何時も さりげなく学生に紹介する。
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