コロナの蔓延化の日々である。 下記のメールが届いた。 『今は病気が あってもなくても、どなたにとっても、ある意味「人生の夏休み」なのかなと思っています。』。 『病気は人生の夏休み』(幻冬舎)の「83の言葉の処方箋」は、コロナの時に有効のようである。 また、「樋野先生の がん哲学は 時代の必然だと思いました。」との 心温まる励ましの言葉を頂いた。
コロナ時代の「言葉の3か条」の学び
1) 言葉で 相手を傷つける。
2) 善意の言葉が 人を傷つける。
3) 言葉で癒す 人になる。
『国手』とは「国を医する名手の意」、名医また医師の敬称とあり、「医師は 直接、間接に、国家の命運を担うと思うべし」とのことである。 医師の地上的使命と同時に『日本の傷を医す者』「矢内原忠雄(1893-1961): 1945年12月23日の講演」が蘇った。 政治家にして 医師のセンスを 兼ね備えるのは至難のことである。 しかし その稀有の例が 過去の日本にもいた。 岩手県が生んだ後藤新平(1857-1929年)である。 1882年、岐阜で 暴漢に襲われ 負傷した板垣退助を医師として手当し、板垣退助に「医者にしておくには惜しい。政治家になれば、かなりのものになるであろうに」と 言わしめた後藤新平は 実際、関東大震災後の東京復興の壮大なビジョンを描いたリーダーとして「理想郷を作りたいと願う熱い思い」を持ち「行動する人間」であった とのことである。 後藤新平は、同じく岩手県の生んだ新渡戸稲造を いろいろな局面で 抜擢した人物でもある。
1860年代遣米使節団が、ニューヨークのブロードウエイを行進した。 彼らの行進を見物した詩人ホイットマンは、印象を「考え深げな黙想 と 真摯な魂 と 輝く目」と表現している。 この風貌こそ現代に求められる「医師の風貌」でなかろうか! 「無邪気に喜んで、小さな事に、大きな愛を込める」(アルプスの少女ハイジ)が、鮮明に想い出される日々である。
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