2022年3月3日、『「今日」という日の花を摘む』(2016年発行;実業之日本社)、『種を蒔く人になりなさい』(2019年発行;いのちのことば社)を持参されたお2人とレストランで、面談する機会が与えれた。 『ヨブ記』について大いに盛り上がった。 『がん哲学外来メディカル・カフェ』との類似性について、静思する大変貴重な時ともなった。
「ヨブの3人の友人が彼を慰めるべく来た。 彼らは7日7晩、ヨブとともに座っていたが、激しい苦痛を見ると話しかけることもできなかった。 やがて友人たちはヨブに、こんなに悪い目にあうのは実は何か悪いことをした報いではないか、洗いざらい罪を認めたらどうかと議論し、身に覚えのないヨブは反発する。 議論の流れが3回繰り返される。 この議論の後、エリフが主張。」と紹介されている。 先月の2月22日第88回『がん哲学外来メディカル・カフェ@よどばし』(淀橋教会に於いて)での下記の質問が、鮮明に思い出された。
「話が通じなさそうな方々と、コミュニケーションを取るのに、何か良いアドバイスはあるでしょうか。」
「人間同士の生の繋がり薄れていって、結局孤立化が進んでいるようにも思いますが、どう思われるでしょう。」
人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担とお互いの非連続性の中の連続性、そして、傷害時における全体的な「いたわり」の理解は、人間の在り方への深い洞察へと誘うのではなかろうか? 「チアフル」(Cheerful)な顔付を以て人に接し、見ず知らずの人に対しても、少しの親切でもしてあげるという 心もちで暮らせば、社会は温かくなるかも知れない! それは「他人へのおもいやり」であり、「他人の感情を尊敬することから生ずる謙遜・慇懃の心」を常に忘れない「濃やかな配慮の人」であろう!。
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