2023年(卯年;うさぎ年)の幕開けである。 大晦日は、恒例の第73回紅白歌合戦(19:20〜11:45)を視聴した。 85歳でコンサート活動を終える加山雄三の『海 その愛』には、感動した。 筆者の故郷が鮮明に想い出された(添付)。
今から約1300年前、712年に編纂された『古事記』に登場する、医療の原点を教えてくれる大国主命の出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村が、筆者の生まれ育った出雲市大社町鵜(う)峠(とうげ)である(添付)。 隣の鷺浦地区と合わせて、鵜(う)鷺(さぎ)と呼ばれている。 713年に編纂が命じられたという『出雲国風土記』にも登場する歴史ある地である。 その村で、筆者の生涯に強い印象を与えたひとつの言葉がある。『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious) である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラークが、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 もちろん、当時の筆者は、クラークのことも札幌農学校のことも知らず、クラーク精神が内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造(1862-1933)という後に、筆者の尊敬する2人を生んだことも知らぬまま、ただ、鵜鷺小学校の卒業式で、来賓が言った言葉の響きに胸が染み入り、ぽっと希望が灯るような思いであったものである、これが筆者の原点である
母校の鵜鷺小学校、鵜鷺中学校は既に廃校になった(添付)。「鵜鷺メディカルビレッジ=1人の人間を癒す為には1つの村が必要である」の「医療の協働体」の時代の流れを痛感する日々である。「医療の隙間を埋める」具象的イメージとして、「次世代の日本国」の在り方が広く展開されることであろう。「古いものには、まだ再活用される要素があるのである」(内村鑑三)、「目的は高い理想に置き、それに到達する道は臨機応変に取るべし」(新渡戸稲造)の教訓が今に生きる。 今日の「日本国に課せられた使命=内村鑑三&新渡戸稲造の後世への最大遺物」は、人類の共通のテーマである「医療」を通して具現化されよう。「最も必要なことは、常に志を忘れないよう心にかけて記憶することである」(新渡戸稲造)が蘇る2023年の正月となった。
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