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執筆者の写真樋野 興夫先生

第238回 人生の邂逅 〜 この時のため 〜

【YouTubeで講演会を見ました。 癌哲学とは凄いことに携わっていますね。 天声人語で見た楕円の話も納得です。】との心温まる励ましのメールを頂いた。 そして、2018年の講演のYouTubeが送られたきた(添付)。 驚きである。 50年ぶりの交流であろうか? 712年に編纂された『古事記』に登場する、医療の原点を教えてくれる大国主命の出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村が、筆者の生まれ育った島根県出雲市大社町鵜峠(うど)である。 隣の鷺浦(さぎうら)地区と合わせて、鵜鷺(うさぎ)と呼ばれている(添付)。713年に編纂が命じられたという『出雲国風土記』にも登場する歴史ある地である。 今は、鵜鷺小学校も鵜鷺中学校も廃校になった。 筆者は、高校は、出雲市の出雲高校に入学(理数科第1期生)して下宿生活を送ったものである。


筆者が、鵜鷺小学生の卒業式で聴いた『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious)(1877年 札幌農学校のクラーク博士:1826-1886の言葉)が、『人生の原点』になるとは! 札幌農学校におけるクラーク博士の精神が、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造(1862-1933)へと導かれ、英文で書かれた『代表的日本人』(内村鑑三著;1908年)と『武士道』(新渡戸稲造著;1889年)は、若き日からの座右の書となった。 そして、南原繁(1889-1974)と 矢内原忠雄(1893-1961)へと繋がって行った。 『人生の邂逅の非連続性の連続性』である。


今年(2023年)は、筆者の著書『われ21世紀の新渡戸とならん』(2003年発行)出版20周年記念として 第290回に達したブログ『楕円形の心』から約120回分を選択して新刊【『自分のオリジナルで流行をつくれ』 ~ 先人をたどる意義~ 】が企画されるようである。 本当に驚きである。『もしかすると、この時のためであるかもしれない』(エステル記4章14節)を実感する日々である。 まさにパウロの言葉『すべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています』(ローマ人への手紙8章28節)の実体験である。 




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