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執筆者の写真樋野 興夫先生

第240回 『時代を読む具眼の士』 〜 『一筋の光』 〜

 2023年1月18日7:30pm〜 『南原繁研究会』南原研企画委員会(Zoom)に出席した。 日々勉強である。 『南原繁研究会』は2004年にスタートした。 筆者は、【初代代表 鴨下重彦先生(1934-2011: 東京大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長)、第2代代表 加藤節先生(成蹊大学名誉教授)】3代目の代表を、2019年 南原繁(1889-1974)生誕130周年を祝し、仰せつかった。


【2023年11月3日(文化の日)新渡戸稲造(1862-1933)没90周年/矢内原忠雄(1893-1961)生誕130周年記念シンポジウム、 2024年11月3日南原繁没50周年/『南原繁研究会』設立20周年記念シンポジウム】が企画される予感がする。 筆者は、南原繁が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった二人の恩師から、南原繁の風貌、人となりを直接学んだ。 南原繁は『高度な専門知識と幅広い教養』を兼ね備え『視野狭窄にならず、複眼の思考を持ち、教養を深め、時代を読む具眼の士』と教わったものである。 一見『理解不能モード』である複雑な現代社会・混沌の中での『南原繁の平和の考え方』の学びは、時代的要請ではなかろうか! 『一筋の光』を感ずる日々である。


南原繁は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造から大きな影響を受けた。 新渡戸稲造は、日露戦争後7年間、第一高等学校の校長を務めているが、南原繁は新渡戸稲造校長時代の一高で学び、影響を受けた。 一高時代、南原繁は『聖書之研究』を読み始め、東大法学部に入学後、内村鑑三の聖書講義に出席するようになった。 東大卒業後の南原繁は、内務官僚から学者に転進し、ヨーロッパ留学を経て東大教授となり、政治学史を担当、政治哲学を深めていき重要な著作を発表する。 1945年3月10日の東京大空襲の前日に法学部長に就任、日本の敗色濃厚となった中で、法学部の有力教授たちと終戦工作を相談し、重臣らと接触した。 そして戦後、東大総長に就任、国家の再建を呼びかけ、戦後改革の理想を掲げて、ことに教育改革に主導的役割を果して行った。 2023年1月20日は、女子教育に大いなる理解を示した新渡戸稲造が、初代学長を務めた東京女子大学理事会に出席した。 先人(内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄)からの学びは、まさに『人生の邂逅の非連続性の連続性』を実感する。

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