今日は、筆者の誕生日(3月7日)である。 今朝、新潟県在住の方から【樋野先生ブログを読んでいると 涙が出そうになる時があります。 心に入って来ているのだと感じます。】との心温まる励ましメールを頂いた。 筆者の故郷(島根県出雲市鵜峠)は無医村であり(添付)、幼年期、熱を出しては 今は亡き母に背負われて、隣の村の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 実家の裏庭に羽を傷ついた鳶が降り立ち、母は、その鳶に餌を与え育てた。 傷が治り、空に旅立った鳶が、一年後、再び現れ、裏庭の上空を旋回し、一羽を裏庭に落とし、飛び去っていった。 母に対する恩返しである。 此は、忘れ得ぬ、若き日の実話である。 まさに『母の後世への最大遺物』であり、筆者にとってはかけがえのないものである。 私はこの話を幼い時から母に毎日のように聞かされて育った。
筆者に強い印象を与えた言葉は『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious)である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造(1862-1933)を生んだことも知らぬまま、ぽっと希望が灯るような思いであったものである。 その後、内村鑑三・新渡戸稲造、南原繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)を静かに学んできた。 【内村鑑三の『代表的日本人』(1894年)、新渡戸稲造の『武士道』(1900年)、岡倉天心(1863-1913)の『茶の本』(1906年)】はともに英語で書かれ、日本の文化・思想を西欧社会に紹介したものである。 英語で、日本(人)を深く、広く、丁寧に 海外に紹介出来た人物は、この3人ではなかろうか! この3人は『英語力と教養』を備えた明治以降の日本が誇れる人物である。 明治時代の3人の【『格調高い英語力』と『深い教養』と『高い見識』】には驚くばかりである。 100年後の現代に生きる我々は、『真の国際人の定義』を再考すべき時であろう。【『真の国際人』とは、『賢明な寛容』を持ち、『能力を人の為に使う』人物】であり、明治維新以降、『内村鑑三・新渡戸稲造・岡倉天心』は、『真の国際人』のモデルであろう!【『真に勇敢なる人は常に沈着である。−−− 吾人はこれを「余裕」と呼ぶ。 それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいれる余地ある心である』】(新渡戸稲造『武士道』より)。
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