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執筆者の写真樋野 興夫先生

第259回 『人生の道』 〜 『背中を押されて 先へと運ばれていく』 〜

 2023年4月2日 久留米バイブルフェローシップ(KBF)に、wifeと出席した。KBFでは、2008年から毎月1回『がん哲学外来』(The Cancer Philosophy Café)を開催している(添付)。【もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、―― と言いなさい。―― 話すと、彼れは許してくれた。】(マルコ11章3節、6節)は、2008年に『がん哲学外来』を立ち上げた時の原点でもある。


2023年4月3日は、恵泉女学園(世田谷区)から恵泉女学園大学(多摩市)の入学式、教授会に赴く。 筆者は2021年 新渡戸稲造(1862-1933)から学んだ河井道(1877-1953)が、初代学園長である恵泉女学園の9代目理事長を拝命することになった。 河井道は創立10周年を機に『”My Lantern”(わたしのランターン)』著した(1939年)。『わたしの歩んできた人生の道で わたしのランターンのために ろうそくを わけてくださった友人』の文章に赤線が引いてある。『わたしのランターン』の終わりに『ここまで、わたしは、私のランターンをかかげてきた。 時がくると、それは別の手へとひき継がれて、さらに先へと運ばれていくであろう。 ――このランターンが、 芯を切りととのえられ、燃え続けていくように、わたしはそれのみを願っている』とある。


河井道は、1887年スミス女学校(現在:北星学園女子中学高等学校)(札幌市)に入学し、当時札幌農学校で教えていた新渡戸稲造と邂逅している。 1898年新渡戸稲造夫妻に伴われて渡米し、ブリンマー大学に入学した。『河井道の育ての親』には、【河井道は学校設立の為に、国際連盟事務次長(1920-1926)の新渡戸稲造に相談にジュネーブにわざわざ行った。 その時に新渡戸稲造は、『君はこれから女学校でも創立すると、その経営に苦しんで終わり、理想とする教育には手を下しえないで果てるだろう。 ほかにやる用事はたくさんにあるから、思いとどまれ』(『新渡戸博士追悼集』)と、『しょげて日本に帰国した河井道でしたが、あきらめきれませんでした。 丁度1928年、新渡戸稲造は 台湾在住の男性からの寄贈を辞退して、台湾在住の男性に『資金繰りに困っている河井道に寄付金として送るよう』伝えた。 そして1929年 恵泉女学園創立した。】とある。

まさに、使命とは『背中を押されて 先へと運ばれていく』の実践であろう!



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