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執筆者の写真樋野 興夫先生

第273回 誰かの役に立っている 〜 印象を与える言葉 〜

 2023年6月12日は、新渡戸稲造記念センター(午前)、恵泉女学園(午後)から、Wifeが小学校の校長を務めるインターナショナル スクール(CAJ)での、教職員、生徒、保護者との夕食会に出席した。 大いに心が癒された。『ただ、横にいるだけでいい。 必ず誰かの役に立っている。』を実感する時となった。


たまたま偶然に臨席されたのは、今度、CAJからICU(国際基督教大学)に教授に就任されたアメリカ人の先生ご夫妻であった。 毎年 複数のCAJの卒業生はICUに入学しているとのことである。 【ICUは、1949年創立、1953年大学設置とのことで、西村幹子教授(教育学・言語教育デパートメント長)と富岡徹郎理事が、来年(2024年)の75周年創立記念シンポジウムに向けて、今年は準備的シンポジウム『新渡戸稲造(1862-1933)没90周年 & 矢内原忠雄(1893-1961)生誕130周年』が、企画されるようでICUで市民公開シンポジウム『真の国際人 〜 個性と多様性〜』が実現したら歴史的大事業となろう。】と伝えた。


筆者は、最近、小学生の授業で、『何故、先生は、医者になろうと思われましたか?』と質問されることが多い。【私の生まれ育った出雲市大社町鵜峠である(添付)。 隣の鷺浦地区と合わせて、『鵜鷺(うさぎ)』(小学校 & 中学校は廃校;添付)と呼ばれている。 713年に編纂が命じられたという『出雲国風土記』にも登場する歴史ある地である。 私の故郷は無医村であり、幼年期、熱を出しては母に背負われて、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、今でも脳裏に焼き付いている。 私は、人生3歳にして医者になろうと思ったようである。】と答える。


さらに読書遍歴を聞かれる。 その時は【強い印象を与えた言葉は、小学校の卒業式での『ボーイズ・ビー・アンビシャス (boys be ambitious)』である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている。 クラーク精神が 内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造(1862-1933)、南原繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)に繋がり、19歳の時から、この4人の著書を静かに読んだものである。 『不思議な人生の邂逅』である。】と話すと生徒は真摯に聞いてくれる。




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