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執筆者の写真樋野 興夫先生

第282回 人生邂逅 〜 もしかすると、この時のため 〜

 2023年7月26日 筆者が新渡戸稲造記念センター長を務める新渡戸記念中野総合病院での第536回『新渡戸グローバルCPC』に出席した。 レベルの高い、純度の高いCPCで、大変、勉強になった。 CPCは臨床-病理検討会(Clinico- Pathological Conference)で、臨床医と病理医が集まり、症例検討を行う会である。 筆者にとっては、CPCは癌研時代から病理医の原点である。


7月27日 東久留米駅のジョナサンで、出版社の方と面談した。 今年は、新渡戸稲造 (1862-1933)没90周年である。『新渡戸稲造 〜 壁を破る言葉 〜』が、製本されたら歴史的大事業となろう。 英訳もされる予感もする。


筆者の生涯に強い印象を与えたひとつの言葉は、『ボーイズ・ビー・アンビシャス (boys be ambitious)』 である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造、南原繁(1889-1974)、矢内原忠雄(1893-1961)であり、19歳の時から学んできた。 まさに50周年記念である。『人生邂逅』の『非連続性の連続性』である。


筆者は、医学部を卒業(1979年)し医師になり、癌研究会癌研究所の病理部に入った。 そこで、また大きな出会いに遭遇したのであった。 病理学者であり、当時の癌研究所所長であった菅野晴夫先生(1925-2016)の恩師である日本国の誇る病理学者:吉田富三(1903-1973)との出会いに繋がった。 菅野晴夫先生の下で、2003年 吉田富三生誕100周年記念事業を行う機会が与えられた。 こうして、必然的に『がん哲学』の提唱へと導かれた(2001年)。 さらに、『陣営の外=がん哲学外来』へと展開した(2008年)。


筆者は、2003年に著書『われ21世紀の新渡戸とならん』発行した(添付)。 今年(2023年)は、『われ21世紀の新渡戸とならん』(2003年発行)出版20周年記念である。『もしかすると、この時のためであるかもしれない』(エステル記4章14節)を実感する日々である。



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