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執筆者の写真樋野 興夫先生

第294回 人生の先輩としての知恵 〜 『モザイク細工のよう』 〜

 【がん病理学者が読む聖書『ヨブ記』『なぜ、こんな目に あわなければ ならないのか』】(2023年10月1日 いのちのことば社 発行)が出版される (添付)。


【私が生まれた島根県出雲市大社町鵜峠は、日本海に面した小さな村でした(現在、人口37名 25家に住まい)。 子供の頃、海沿いで一人遊んでいると、いつもお年寄りの視線を感じていました。 事故にあわないよう さりげなく『監視』をしてくれていたのですが、それが私の提唱する『偉大なるお節介』の原点です。


私は米国で学び、癌研究会や順天堂大学医学部で教え、病理検査に勤しみ、2008年には順天堂大学医学部附属順天堂医院に『がん哲学外来』を創設しました。 歩んできた年代、場所、仕事に、それぞれの『樋野興夫』がいます。 読者の皆さんも同じで、年齢によって居場所や考えが変わったりしますが、それらすべてが『モザイク細工のよう』に まとまって今があります。 私もいよいよ七十歳を目前にしていますが、現在までの私が混ざり合っています。 いつでも少年時代、京都時代、米国時代、壮年時代の私に戻っていくことができるのです。 富士山を見て感動する時、そこには少年の私がいるというわけです。


三浦綾子(1922-1999)に、印象的な言葉があります。『今日 私は69歳となりました。 しかし、60歳代の日々が、20歳代の日々よりも、幸せが薄いとは思いません。 60歳代には60歳代の恵みが、豊かにあることを覚えて感謝します。 朝日も美しいけれど、夕日もまた美しいのです』(『祈りの風景』日本基督教団出版局、1991年)


高齢者になったら、経験だけで語りかけることはやめましょう。『あの頃はよかった』は、『私の人生は寂しかった』と言っているようなものです。 若い世代将来に不安を抱き、病気の人は いのちのはかなさに心が揺れ動いています。 高齢者は 迷いを振り切った覚悟の言葉を伝え、まわりの人たちの悩みに耳を傾け、人生の先輩としての知恵を紹介することで、下の世代に貢献できます。 ひとりでいて苦痛にならない場所を探して出かけて行く。そんな居場所が必要です。】



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