筆者は、2023年9月15日 『病理医』として、病理組織診断の業務を行った。『病理医』は顕微鏡を覗きながら、マクロからミクロまでの『手順を踏んだ 丁寧な大局観』が求められる分野でもある。 『森を見て木の皮まで診る 厳粛な訓練』でもある。まさに『病理医は生涯書生』である。
筆者は医師になり、癌研究会癌研究所の病理部に入った。 当時の所長であった菅野晴夫(1925-2016)先生は、南原繁(1889-1974)が東大総長時代の東大医学部の学生であり、菅野晴夫先生から、南原繁の風貌、人となりを直接うかがうことも出来た。 さらに、菅野晴夫先生の恩師である元癌研所長で東大教授であった日本国の誇る病理学者:吉田富三(1903-1973)博士との間接的な出会いに繋がった。 また、菅野晴夫先生から、アメリカの『遺伝性がんの父:Knudson(1922-2016)』のもとへの留学を勧められた。『不思議な人生の邂逅の流れ』である。
菅野晴夫先生の下で、2003年、『吉田富三生誕100周年記念事業』を行う機会が与えられた(添付)。 吉田富三博士の著作を熟読し、これを機に、吉田富三博士への関心が高まり、深く学んでいくことになった。 吉田富三博士は病理学という専門分野を極め、さらにまた、医療制度や国語政策にも取り組み、重要な提言を行っている。『人体の中で起こっていることは、社会と連動している』&『がん細胞に起こることは必ず人間社会にも起こる』とも語っている。
南原繁、吉田富三博士との出会から必然的に『がん哲学』の提唱へと導かれた(添付)。 『がん哲学』とは、『南原繁の政治哲学』と『吉田富三博士のがん学』をドッキングさせたもので、『がん哲学=生物学の法則+人間学の法則』である。 そして 2008年 順天堂大学病院での『陣営の外=がん哲学外来』へと展開した。
この度、新刊『新渡戸稲造 壁を破る言葉』(2023年10月5日三笠書房)に続いて、【なぜ、こんな目に あわなければ ならないのか 〜 がん病理学者が読む聖書『ヨブ記』 〜】(2023年10月15日 いのちのことば社 発行)に繋がった。 まさに、『連チャン症候群』で『暇げな風貌の病理医の役割・使命』でもあろう!
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