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執筆者の写真樋野 興夫先生

第323回 愛読書 〜 生涯に幾度となく読み返す 〜

 2024年1月15日 wifeの友人で、オーストラリアから来日された『ご夫婦、息子様、娘様4人』が我が家に滞在された。 翌日(1月16日)は、wifeと皆様と6人で、東久留米駅のインド料理店(ルチア)で夕食の時を持った。 大変有意義な充実した貴重な時となった。 いつかwifeとオーストラリアを訪問したいものである。 筆者は若き日に、新渡戸稲造(1862-1933)が、オーストラリアを訪れた際の新聞記事『ブリスベン・クーリア紙』があると聞いたものである。

 

新渡戸稲造は札幌農学校時代に『うつ病』になった。 新渡戸稲造の母の死を知った内村鑑三(1861-1930)からの激励の手紙によって立ち直り、東京へ出る。 内村鑑三、新渡戸稲造に、札幌農学校時代に洗礼を授けたメリマン・コルバート・ハリス(Merriman Colbert Harris、1846-1921)と新渡戸稲造は、横浜にて再会し、トーマス・カーライル(Thomas Carlyle、1975-1881)の『Sartorius Restartus(サーターリサータス):衣服哲学』という一冊の本を譲り受ける。 『衣服哲学』は新渡戸稲造の『うつ病』を克服し、愛読書となり、生涯に幾度となく読み返した。 新渡戸稲造は『衣服哲学』の読書を学生にも薦めるなどした。

アメリカでメアリーと結婚して、1891年に帰国し、教授として札幌農学校に赴任する。 この間、新渡戸稲造の最初の著作『日米通交史』がジョンズ・ホプキンス大学から出版され、同校より名誉学士号を得た。 札幌時代に再び体調を崩し、札幌農学校を休職して米国西海岸のカリフォルニア州で転地療養した。

この間に、新渡戸稲造は、名著『武士道』を英文で書きあげた。1900年に『武士道』の初版が刊行されると、ドイツ語、フランス語など各国語に訳されベストセラーとなり、アメリカのセオドア ・ルーズベルト・ジュニアTheodore Roosevelt Jr. 1858-1919)大統領らに大きな感銘を与えた。 そして、新渡戸稲造の『武士道』は読み継がれている。

 

筆者は2007年から内村鑑三『代表的日本人』(1894年 岩波文庫、鈴木範久訳)と新渡戸稲造『武士道』(岩波文庫、矢内原忠雄訳)の『読書会』を交互に進めている(添付)。 筆者の『著作(添付)との不思議な繋がり』を痛感する日々である。




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