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執筆者の写真樋野 興夫先生

第329回 『自らの役割が生まれる』 〜 『働かせて益とする』 〜

 2024年2月5日 自由学園初等部(教頭 稲村祐子先生の企画)での6年生と保護者向けの【特別講演&映画会】を終えて雪の降る中を帰宅した。

 

帰宅したら、筆者が顧問を務める『21世紀のエステル会』の代表:金田佐久子先生(川口がん哲学カフェいずみ代表)から、『西川口だより』(添付)が送られて来た。 【『21世紀のエステル会』メンバー  広報部長:田鎖夕衣子氏(がん哲学外来メディカルカフェひばりが丘代表)、企画部長:太田和歌子氏(がん哲学外来白鷺メディカル・カフェ代表)、編集係:海老澤規子氏(がん哲学外来さいわいカフェin茨城・筑西代表)】

 

筆者の【第323回『21世紀のエステル会』 愛読書 〜 生涯に幾度となく読み返す 〜】の文章が記述されてあり、大いに感動した。

 

【-- 新渡戸稲造は札幌農学校時代に『うつ病』になった。 新渡戸稲造の母の死を知った内村鑑三(1861-1930)からの激励の手紙によって立ち直り、東京へ出る。 内村鑑三、新渡戸稲造に、札幌農学校時代に洗礼を授けたメリマン・コルバート・ハリスと新渡戸稲造は、横浜にて再会し、トーマス・カーライルの『衣服哲学』という一冊の本を譲り受ける。 『衣服哲学』は新渡戸稲造の『うつ病』を克服し、愛読書となり、生涯に幾度となく読み返した。 -- アメリカでメアリーと結婚して、1891年に帰国し、教授として札幌農学校に赴任する。 -- 札幌時代に再び体調を崩し、札幌農学校を休職して米国西海岸のカリフォルニア州で転地療養した。 この間に、新渡戸稲造は、名著『武士道』を英文で書きあげた。 1900年に『武士道』の初版が刊行されると、ドイツ語、フランス語など各国語に訳されベストセラーとなり、―― 大きな感銘を与えた。】

『自分より困った人に 手を差し伸べようとすれば、自らの役割が生まれ、逆境はむしろ順境になるのです』(新渡戸稲造:1862-1933)が鮮明に蘇る日々である。

 

まさに、『すべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(ローマ人への手紙8章28節)の復学である。



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