top of page

第416回 外面より 内面を重視 〜『心の燈台』  〜

  2025年4月14日 新渡戸稲造記念センター(中野駅)から恵泉女学園(経堂駅)に赴いた。 今回、内村鑑三(1861-1930) & 新渡戸稲造(1862-1933)に影響を与えた新島襄(1843-1890)が、想い出された。

 

筆者は、2013年 御茶ノ水で【新渡戸稲造没80周年 & 新島襄生誕170周年 シンポジウム】を行ったものである(添付)。

 

筆者は、小学校、中学校、高校、大学の授業では、何時も、【新島襄は、アメリカのアーモスト大学で、ウィリアム・クラーク(William Smith Clark:1826-1886)から授業を受けた。 新島襄は、クラークにとっては最初の日本人学生であり、1872年、新島襄は、アメリカ訪問中の岩倉使節団と会う。 新島襄の語学力に目をつけた木戸孝允(1833-1877)は、通訳者として使節団に参加させた。 その縁で、クラークは、1876年9月 開校した札幌農学校の初代教頭に就任する。 密航者として渡米した新島襄であったが、初代の駐米公使となった森有礼(1847-1889)によって正式な留学生として認可された。 勝海舟(1823-1899)とも出会っている。札幌農学校2期生は『内村鑑三 & 新渡戸稲造』である。】と話す。

 

2019年 前橋市教育委員会 生涯学習課 中央公民館での講演会『がん哲学外来について』に招かれたことが、鮮明に蘇って来た。 会場は、400人 以上の参加があり、満員であった。『上毛カルタ』(添付)について語った。【『こ』= 心の燈台 内村鑑三』、『へ』= 平和の使徒 新島襄】は、若き日から、暗記し親しんだものである。 群馬の誇りであろう。

 

2019年【『21世紀の新島・内村 カタルパ』 ニュースレター Vol. 1 (代表:片山和久先生、編集長:高山千春氏)】が送られてきた(添付)。 新島襄といえば【『ハンサム・ウーマン = a person who does handsome』は『妻:八重(1845-1932;2013年 NHK大河ドラマの主人公)への英文手紙 (1875年)』】である。

 

【外面より 内面を重視した 新島襄の『愛を以てこれを貫く』】の復学である



 
 
 

Comments


© 2023 by Uniting Church Arizona. Proudly created with Wix.com

bottom of page