top of page
検索

第333回 『見えざる手の導き』 〜 自分の思いを超えた継承 〜

 2024年2月20日 順天堂大学(名誉教授・客員教授)に寄り―>新渡戸稲造記念センター(センター長)に向かった。 2019年3月順天堂大学を定年退職、2019年4月に創設された『新渡戸稲造記念センター』のセンター長を仰せつかった。 今年(2024年)は、『新渡戸稲造記念センター』創立5周年記念である。 万座日進館では誕生(3月7日)祝賀会が企画されている(添付)。 本当に感謝である!

 

712年に編纂された『古事記』に登場する、『医療の原点を教えてくれる大国主命』の出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村が、筆者の生まれ育った出雲市大社町鵜峠(現在 人口37名 空き家60%)である。 隣の鷺浦地区と合わせて、『鵜鷺(うさぎ)』と呼ばれている。 713年に編纂が命じられたという『出雲国風土記』にも登場する歴史ある地である。 筆者の故郷は無医村であり、幼年期、熱を出しては母に背負われて、峠のトンネルを通って、隣の村(鷺浦)の診療所に行った体験が、今でも脳裏に焼き付いている。 筆者は、『人生3歳にして医者になろう』と思ったようである(自由学園初等部教頭 稲村祐子先生の作品:添付)。

 

筆者の生涯に強い印象を与えたひとつの言葉は、『ボーイズ・ビー・アンビシャス (boys be ambitious)』 である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラークの精神が内村鑑三(1861-1930)& 新渡戸稲造(1862-1933)& 南原繁(1889-1974)& 矢内原忠雄(1893-1961)に引き継がれ、筆者は、若き日から、この4人の本を静かに熟読したものである。

 

『内村鑑三記念がん哲学外来』&『新渡戸稲造記念がん哲学外来』&『南原繁研究会』&『矢内原忠雄記念がん哲学外来』として継承された。 筆者は、癌研時代にアメリカに留学し『遺伝性がんの父』Knudson(1922-2016)博士との出会いが与えられ、帰国して順天堂大学で『環境がん:アスベスト・中皮腫外来』(2005年)を開設し、2008年の『人間学:がん哲学外来』に繋がった。 自分の思いを超えた まさに『見えざる手の導き』を感じざるを得ない人生の日々である。



閲覧数:16回0件のコメント

最新記事

すべて表示

第350回 『丁寧な観察力の修練』 〜 寄り添うとは 〜

2024年5月10日 病理組織診断業務に赴むく。 顕微鏡を見て病気を診断する『丁寧な観察力の修練』である。 その後、wifeと『CAJ』でのコンサート(Parade of Bands)に出席する。 5月11日、12日は放送大学埼玉学習センター(大宮)で授業(下記)を依頼された。 【授業内容】 『がん哲学』とは、生きることの根源的な意味を考えようとする患者と、がんの発生と成長に哲学的な意味を見出そう

bottom of page