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第357回 『もしかすると、この時のため』 〜 自由にして勇気ある行動 〜

 筆者の生涯に強い印象を与えたひとつの言葉がある。『もしかすると、この時のためであるかもしれない。』(旧約聖書 エステル記4章14節)である。

筆者は、2004年にスタートした南原繁研究会 【初代代表、鴨下重彦 先生(1934年-2011年、東京大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長)、第2代代表、加藤 節 先生(成蹊大学名誉教授)】の3代目の代表を、2019年 南原繁(1889-1974)生誕130周年を祝し、仰せつかった。

南原繁は、戦後最初の東大総長で、【『何かをなす(to do)の前に何かである(to be)ということをまず考えよということが、新渡戸稲造(1862-1933)先生の一番大事な教えであったと思います』と、また『明治以降、新渡戸稲造先生に勝る教養と広さの人はいない』、『教育というのは、全てものを忘れた後に残る』】と語っている。

筆者の恩師は、南原繁が東大総長の時の、法学部と医学部の学生であった。 御二人から【『スケールの大きい、愛情豊かな人物だった』&『時代を動かすリーダーの清々しい胆力』 & 『人間の知恵と洞察とともに、自由にして勇気ある行動』の持ち主であった】と教わったものである。『はしるべき行程』と『見据える勇気』は、『人生の羅針盤』であろう!。 人知を超えて、時が進んでいることを痛感する日々である。

思えば、筆者に強い印象を与えた言葉は、今は廃校になった小学校の卒業式で、来賓が語った『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(Boys, be ambitious)である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)(添付)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 そして、クラーク精神を、内村鑑三(1861-1930)& 新渡戸稲造(添付)、南原繁、矢内原忠雄(1893-1961)の著作の読書遍歴から静かに、学んできたものである。

『すべての始まりは人材』である。『ビジョンは人知・思いを超えて進展する』ことを痛感する日々である。『目的は高い理想に置き、それに到達する道は臨機応変に取るべし』(新渡戸稲造)の教訓が今に生きる。



 
 
 

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