2024年7月24日、筆者は、2004年にスタートした『南原繁研究会』の3代目の代表を仰せつかっている『南原繁研究会の総会及び第237回研究会』にZoom参加した。 今回の読書会の箇所は、南原繁著作集二巻『フィヒテの政治哲学』の『第三章 民族主義の理論』(報告者 栩木憲一郎氏)&『第四章 現代政治学の問題』(報告者 近藤信和氏)であった。 筆者は、若き日に、全巻『南原繁著作集1〜10巻』を購入し熟読したものである。
『フィヒテの政治哲学』の『人間は ただ人間のなかにおいてのみ 人間であり得る。』の言葉が、今回鮮明に思い出されました。 自由発表は、『南原繁と現代今問われているもの』(2005年to be出版)(添付)(報告者 沢目健介氏)であった。本書には、筆者の『2004年南原繁没後30周年記念シンポジウム 〜 なぜ南原繁か?― がん哲学』&『南原繁没後30周年記念 〜 わが青春の起点』の筆者の文章も記載されている。
南原繁(1889-1974)は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造(1862-1933)から大きな影響を受けた。 1945年3月10日の東京大空襲の前日に法学部長に就任、日本の敗色濃厚となった中で、法学部の有力教授たちと終戦工作を相談し、重臣らと接触した。 そして戦後、東大総長に就任、国家の再建を呼びかけ、戦後改革の理想を掲げて、ことに教育改革に主導的役割を果して行く。
筆者は、南原繁が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった二人の恩師から、南原繁の風貌、人となりを直接うかがうことが出来た。 南原繁は、『高度な専門知識と幅広い教養』を兼ね備え『視野狭窄にならず、複眼の思考を持ち、教養を深め、時代を読む具眼の士』と教わったものである。『考え深げな黙想と真摯な魂と輝く目』の風貌こそ、現代に求められる『学者の風貌』であろう!南原繁は、『国民の理想とビジョンをつくり出すのは、根本において教育と学問のほかにはない』とも書いている。【私たちの出会うことがらには、出来ることと できないことがあるが、出来ることは 頼まれれば こばむものではない、いやとは言わない】が『南原繁の学び』ではなかろうか!
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