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第391回 『人生は開いた扇』 〜 継続の大切さ & 思いを超えて進展する 〜

更新日:2024年12月14日

  2024年12月13日() 病理組織診断業務を終えて、Wife が小学部の校長を勤める【クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン(Christian Academy in Japan(CAJ)】での教職員のクリスマス会に出席した その後、卒業生のバスケットボールの試合があり息子も出るのでwife は残った。 筆者は 南原繁研究会にZoom出席する為に、息子の車の運転で、早めに帰宅した

 

戦後初の東大総長である南原繁(1889-1974)は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造(1862-1933)に大きな影響を受けた。 筆者は、南原繁没後30年にあたる2004年にスタートした南原繁研究会の3代目の代表を仰せつかっている。 今年(2024年)は【南原繁研究会発足20周年、さらには南原繁没後50年】でもある。

 

新渡戸稲造は、日露戦争(1904-1905)後、第一高等学校の校長を務めている(1906-1913)。南原繁は新渡戸稲造校長時代の一高で学び、影響を受けた(添付)。 一高時代、南原繁は『聖書之研究』を読み始め、東大法学部に入学後、内村鑑三の聖書講義に出席するようになった。 東大卒業後の南原繁は、内務官僚から学者に転進し、ヨーロッパ留学を経て東大教授となり、政治学史を担当、政治哲学を深めていき重要な著作を発表する。 そして戦争中は社会的発言は意識的に控え、ひたすらに学問に打ち込む。 その態度をして『洞窟の哲人』と呼ばれたほどである。 しかし1945年3月10日の東京大空襲の前日に法学部長に就任、日本の敗色濃厚となった中で、法学部の有力教授たちと終戦工作を相談し、重臣らと接触した。 そして戦後、東大総長に就任、国家の再建を呼びかけ、戦後改革の理想を掲げて、ことに教育改革に主導的役割を果して行く。

 

人生邂逅の三大法則は、『良い先生、よき友、良い読書である』と考える。 そして、『人生は開いた扇のよう』である(添付)。 人生における出会いは、出会った時に受ける影響だけに留まらず、20~30年後に影響してくることがある。 例え、良い出会いであっても環境が整わないと大成しない。 【『人間として行為の継続の大切さ』&『ビジョン』は人知・思いを超えて進展する】を痛感する日々である。



 
 
 

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