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第397回 『慈愛に満ちた行動』 〜 『できることを拒みはしない』 〜

 2025年1月17神谷美恵子(1914-1979)の親族 神谷永子から小島の春』(小川正子著 1938年出版)が送られて来た(添付)。 【昨年末に小島の春が新たな読みやすい版になって出版されました。(帯に義母・神谷美恵子『若き日の日記』からの引用があります)】小川正子(1902-1943)は、戦前、国立療養所長島愛生園で、ハンセン病患者の診療・治療研究に生涯を捧げた女医である。

 

【日本初の国立ハンセン病療養所である長島愛生園(岡山県)に就職して6年程勤務していました。 病を得て心ならずも島を離れて療養していた時に、長島愛生園時代の患者検診の旅について綴ったのがこの作品で、出版の2年後には映画化もされました。 検診の様子と患者の家族との別れの場面などが格調高い文体で描かれた作品で、歌を良くした小川らしく、『夫と妻が親とその子が生き別る悲しき病世に無からしめ』など多くの短歌が織り込まれています。 小川は1943年に郷里の山梨県春日居村で結核のため41年という短い生涯を終えましたが、その慈愛に満ちた行動は今に至るまで多くの人々の胸に刻まれています。】とHPには紹介されている。

 

筆者は、ニュースレター『日の出』第3号(添付)に【2024年10月29日 国立ハンセン病療養所長島愛生園(岡山県)で『長島愛生園の医師であった神谷美恵子記念がん哲学カフェ;愛カフェ』12周年に赴いた。 『新渡戸稲造(1862-1933)・内村鑑三(1861-1930)―>前田多門(1884-1962)―>神谷美恵子』の流れである。2012年、『神谷美恵子記念 がん哲学カフェ』が開設された。 神谷美恵子は、前田多門の娘で、前田多門は、内村鑑三の主宰する「柏会」に属していた。 新渡戸稲造は、神谷美恵子の両親の仲人でもあった。『新渡戸稲造が『幼い 神谷美恵子』を膝に抱いてあやしている姿】と記述した。

 

『私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。 何もかもできるわけではないが、何かはできる。 だから、何もかもはできなくても、できることをできないと拒みはしない』(ヘレンケラー: Helen Keller 1880-1968)の心得が 今回、鮮明に蘇って来た。



 
 
 

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