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第402回 人知を超えて 〜 ぽっと希望が灯る 〜

  2025年2月10日 【『ひばりヶ丘駅 ー>池袋駅 ー>新宿駅 ー>中野駅 ー>『新渡戸稲造記念センター』 ー>中野駅 ー>御茶ノ水駅 ー>順天堂大学 ー>本郷三丁目駅 ー>池袋駅 ー>東久留米駅』の旅】であった。 西武池袋線の車内から『快晴の雪の積もる壮大な富士山』を観ながら、また落合川を散策し、『川に浮かぶ多数のカモ、白鳥、流れに逆らいて泳ぐ魚』心が癒された。

 

筆者は、幼年時代から 今は亡き母に【誕生の年の初夢に富士山を見た=『富士山子』】と 毎日励まされた。 故に『富士山』にも特別な思いがある。 幼年時代のインプリンテイングは 生涯に影響を与えるものである。 母校の鵜鷺小学校の卒業式で、来賓が言った言葉【『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious) 】である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 当時の筆者は、クラークのことも札幌農学校のことも知らず、クラーク精神が札幌農学校に入学た新渡戸稲造(1862−1933)を生んだことも知らぬまま、ただ、鵜鷺小学校の卒業式で、来賓が言った言葉の響きに胸が染み入り、ぽっと希望が灯るような思いであったものである。 これが筆者の原点である。

 

1933年3 月3日、三陸で地震の大災害があったと記されている。 その時、新渡戸稲造は被災地宮古市等沿岸部を視察したとのことである。その惨状を目の当たりにした新渡戸稲造は【『Union is Power』(協調・協力こそが力なり)と当時の青年に語った】と言われている。 まさに、今にも生きる言葉である。新渡戸稲造は、【英語で『武士道』を出版し、『太平洋の橋たらん』との信念を持ち、1920年、国際連盟事務次長に就いた。】

 

2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』、2018年に新訂版、2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21 st Century Inazo Nitobe』が発行された(添付)。 タイミング的には『新渡戸稲造記念センター長』就任記念ともなった。 驚きである。 【人知を超えて、時が進んでいる】こを 痛感する日々である。 ここに【『新渡戸稲造記念センター』の開設の歴史的意義】があろう!



 
 
 

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