2025年2月18日『がん哲学外来 in 新渡戸稲造記念センター』(添付)に赴いた。 『新渡戸稲造(1862-1933)と内村鑑三(1861-1930)の苦難の人生』について語った。 何故に筆者は『新渡戸稲造と内村鑑三』に繋がったのかも語った。 読書会(添付)についても紹介した。 【『寄り添う』と『支える』の違い: 困っている人と 一緒に困る人になる】 & 『人生は生き方により 逆境も順境とされる』(新渡戸稲造)の学びの貴重な時となった。
新渡戸稲造は、札幌農学校で学び、アメリカに留学する。 帰国後、母校である札幌農学校の教授に就任にあたるが、体調を崩してカリフォルニアに転地療養をすることになる。このカリフォルニアでの療養中に書き上げ、刊行したのが英文『BUSHIDO,THE SOUL OF JAPAN:『武士道』(1899年)である。 新渡戸稲造が、愛読したトーマス・カーライル(Thomas Carlyle、1795-1881)の『サーター・リサータス:衣装哲学』の『“Do thy Duty, which lies nearest thee, which thou knowest to be a Duty”(汝の義務を尽くせ。汝の最も近くにある義務を尽くせ、汝が義務と知られるものを尽くせ)』の復学の日々である。
内村鑑三は、札幌農学校で新渡戸稲造と同級生であり、アメリカに留学し、帰国後、いくつかの学校で教鞭をとるが、いわゆる『不敬事件』が社会問題化し、一方、自身も病を得、教壇から去ることになる。 しかし不遇をかこつ何年かの間に 数多くの著作、論説を発表し、これらは教育や文学、芸術などを幅広い分野に影響を及ぼした。 ちなみにこの時期に 英文で書かれた『Representative Men of Japan』(『代表的日本人』1908年)は、新渡戸稲造の『武士道』とならぶ、世界のベストセラーになった。 内村鑑三は常に平和な社会を求める言論を展開している。さらに聖書研究を目的とする月刊雑誌『聖書之研究』を創刊した。
2月23日は、2007年から始めた東久留米での『読書会』(添付)である。 今回は、新渡戸稲造著【武士道7章『誠』】である。『誠 = 言+成 = 口に出したことは 必ず実行される』とある。
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