2025年2月28日 筆者は病理医としての定例の病理組織診断業務を行った。 病理学は【顕微鏡(添付)を覗きながら、大局観を持つことが求められる分野】でもある。『森を見て木の皮まで見る』ことであり、マクロからミクロまでの手順を踏んだ『丁寧な大局観』を獲得する『厳粛な訓練』の場でもある(添付)。 3月3日は、高橋謙三(総合旅行業務取扱管理者)氏によって企画された【『樋野先生たびの会』7周年記念『屋形船の夜』ひな祭りクルーズ】である。
今回、ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller、1880-1968)と アン・サリヴァン(1866 -1936)の『役割と使命の遂行』が、鮮明に想い出された。
ヘレン・アダムス・ケラーは、3重苦(聴力、視力、言葉を失う)を背負いながらも、世界各地を歴訪し教育・福祉に尽くした。 ヘレン・ケラー と アン・サリヴァンとの写真を見ながら、静思した。【ヘレン・ケラーは、2歳の時に高熱にかかり、聴力、視力、言葉を失い、話すことさえ出来なくなった。 両親から躾けを受けることの出来ない状態となり、家庭教師として派遣されてきたのが、当時20歳のアン・サリヴァンであった。
サリヴァンはその後約50年にも渡って、よき教師として、そして友人として、ヘレンを支えていくことになる】。 ヘレン・ケラーは、3度(1937、1948、1955)来日している。 ヘレンとサリヴァンの半生は『The Miracle Worker』(日本語『奇跡の人』)として映画化されている。 【英語の『「The Miracle Worker」には(何かに対して働きかけて奇跡を起こす人)といった意味があり、本来はサリヴァンのことを指す』とのことである。 ヘレン・ケラーが『人生の眼』を開かれたのは『いのちの言葉』との出会いである。 学びは、『I am only one, but still I am one. I cannot do everything, but still I can do something; And because I cannot do everything I will not refuse to do the something that I can do.『私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。何もかもできるわけではないが、何かはできる。だから、何もかもはできなくても、できることをできないと拒みはしない』(ヘレン・ケラー)であった。】
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