第433回 『励まし続ける言葉の刷り込み』 〜 『愛情の原点』 〜
- 樋野 興夫先生
- 9 分前
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2025年7月8日【山梨英和学院・山梨英和中学校高等学校の第21代校長を勤められた岩間孝吉先生から『富士山の絵葉書』】(添付)が届いた。 大いに感動した。【壮大な品格のある『富士山(3776m)』】の姿には、いつも心が慰められる。 9月7日に甲府で、【がん哲学外来 メディカルカフェ『風林火團』】(代表者:山梨ホスピス協会 担当者:中村由喜)(甲府市総合市民会館に於いて)が企画されている。
筆者は【富士山】には特別な思いがある。 筆者は、幼年時代から 【私の誕生の年(1954年)の母の元旦の夢が『富士山』であり、私は、幼児の時から『富士山子と呼ばれて』と母に励まされたものである。】 『励まし続ける言葉』は、幼年時代のインプリンテイング(刷り込み)で、 生涯に影響を与えるものであることを実感する日々である。 これは、『愛情の原点』でもあろう!
母は、島根県出雲市大社町鵜峠(添付)の自宅に於いて、安らかに 96歳(1923年2月20日〜2019年6月3日)の天寿を全うした。 母の兄達は、太平洋戦争で戦死し、末っ子の母が『我が家=木綿屋』を継いだ。 そして、祖父から、『家を興(おこ)す=樋野興夫=ひのおきお=Origin of Fire』と命名されたと、膝に抱かれて 聞かされた幼年時代の想い出が 鮮明に脳裏に蘇る。『興』は『国を興す 産業を興す 振興 興起 興隆 再興 復興』である。
鵜峠は無医村で 小学校も中学校も既に廃校になった。 現在は人口34名、60%の空き家である。 鵜峠の海辺に行き、日本海を眺めながら(添付)、『何故に、この母から この世に、生まれたのか ?』 & 『何の為に、この地で、生まれたのか?』を 深く静思したものである。
母に背負われて、隣の村の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 そして、東京都東久留米市の自由学園初等部 教頭 稲村祐子先生が作成された【写真『3歳の樋野興夫くんは、こう思いました。 将来、医者になる!!』】 (添付)を、最近の講演会では何時も使用している。
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