第529回 『架け橋になりたい』〜『がん哲学外来』の源流 〜
2026年10月20日 筆者は『新渡戸稲造記念センター in 新渡戸記念中野総合病院』に赴いた。【『神谷美恵の研究者である田中真美先生(立命館大学生存学研究所客員研究員/ ホスピタリテイ人間教育研究所 代表理事)』からは、『同志社山脈、新渡戸稲造と同志社の関わりが掲載されています。』と、『写真と記事』が送られてきた(添付)。 大いに感動した。 ただただ感謝である。
『がん哲学外来 東松山カフェ』(埼玉県東松山市)の代表・担当者『可愛らしいキリン(森川美智代)』の息子様は、今、ジョンズ•ホプキンス大学(Johns Hopkins University)に留学中である。 ジョンズ•ホプキンス大学は、新渡戸稲造(1862-1933)が学んだ大学である。 新島襄(1843–1890)は1885年5月訪問している。 筆者は、以前、ジョンス・ホプキンス大学を訪問したのが、思い出された。
【新渡戸稲造は、札幌農学校卒業後は、上級官吏として北海道庁に採用され、畑の作物を食い散らすイナゴの異常発生の対策の研究等をしていた。 その後、創立後間もない帝国大学(後の東京帝国大学、東京大学)に進学。 しかし当時の農学校に比べ、帝国大学の研究レベルの低さに失望したため退学した。1884年『太平洋の架け橋になりたい』と米国に私費留学し、ジョンズ•ホプキンス大学に入学した。 妻となるメアリー・エルキントン(日本名・新渡戸万里子)(1857-1938)と出会う(添付)。 米国の某地で日本についての講演をした際に、聴衆の一人であったメアリー・エルキントンが新渡戸稲造を見初めて告白をしたという。 アメリカ、ドイツへ留学した新渡戸稲造は1891年メアリー・エルキントンと結婚し一緒に帰国した。】と紹介されている。
新渡戸稲造は、軽井沢へは1905年に、メリー夫人と共に訪れ別荘を設けて避暑生活を行っている。『明治初期は人口わずか500人だった信州の寒村が日本でも有数なリゾートになった理由がここにある』とも言われている。【新渡戸稲造は1905年軽井沢訪問 & 1918年軽井沢夏季学校開設】とある。2013年、【新渡戸稲造没80周年・新島襄生誕170周年記念『“軽井沢”がん哲学外来講演会 〜がん哲学外来の源流 〜』】が軽井沢で開催されたことが、鮮明に蘇ってきた。





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